オランダの歴史において、貿易、科学、軍事、オランダ芸術が、世界中で最も賞賛された17世紀。この時代をオランダ黄金時代と呼ばれています。
この時代に様々なジャンルの絵画が制作されました。
それまで歴史画や宗教画、肖像画がもっとも人気と価値がありましたが、農民の暮らしを描いた風俗画、海洋画、植物画、静物画などさまざまな風景や分野で描かれることが主流になり新しい価値が生まれました。
オランダ黄金時代を生きたオランダ人画家フェルメールもその1人です。
フェルメール美術館
オランダ黄金時代に活躍したオランダ画家Johannes Vermeer(ヨハネス・フェルメール)はバロック絵画を代表する画家の1人で、レンブラントと並ぶ17世紀オランダ黄金時代の巨匠画家です。
フェルメールは生涯で37点の作品を描いたと言われており、故郷デルフトのフェルメール美術館(Vermeer Centrum Delft)には、全作品(レプリカ)が展示されています。
10〜17時
€9.00
ミュージアムカード割引あり €7.00
Voldersgracht 21, 2611 EV Delft, オランダ
Vermeer Centrum Delft
フェルメールの生涯
Johannes Vermeer:ヨハネス・フェルメール(1632-1675)
17世紀の画家は決して裕福な暮らしではなく、副業をして生計を立てていました。そんな中、フェルメールは本職一筋で生涯をおくることができた恵まれた画家でした。
逆玉の輿の人生
フェルメールの父はバーとホテルを経営しており、借金があったそうです。
とても裕福とはいえない家庭で育ったフェルメールですが、20歳の時に資産家の娘と結婚し、その後は奥さんの実家からの援助を受けて生活していました。まさに逆玉の輿人生です。
フェルメール・ブルー
裕福な生活を手にしたフェルメールは、高価な顔料を作品に多用しています。
フェルメール・ブルーと呼ばれるラピスラズリもその1つです。
<フェルメール代表作:真珠の耳飾りの少女>
フェルメール作品に頻繁に使われている鮮やかな青色(フェルメール・ブルー)は、鉱石ラピスラズリを原料にしています。
金よりも貴重なラピスラズリは「星の煌めく天空の破片」と呼ばれるほど美しいウルトラマリンブルー。人目を惹きつける魅力があります。
そんなラピスラズリを惜しげもなく使用したフェルメールの作品にスポンサーがついた事で、奥さんの実家からの支援がなくても生活できるようになり、絵を描くことに没頭することができました。
戦争によって富を失った晩年
フェルメールは画家組合で理事に就任していたこともあるほど、地位も名誉も得ていました。
画家として高い評価を受け、富と名声があったフェルメール画伯ですが、晩年は膨大な負債を抱えて死去しています。
1670年代から始まった第3次英蘭戦争によりオランダ経済は低迷するとスポンサー契約が終了し、さらに奥さんの実家も経済状況が低迷します。
援助を受けることもできず、さらには絵画は1点も売れなくなり、気がつくと残ったのは膨大な借金のみとなりました。
1675年に43歳という若さで死去したフェルメール、死因は特定されていません。
フェルメールには11人の子供がいましたが、まだ8人が未成年だったようです。
フェルメールの死後に奥さんは負債を返すことができず破産しました。
忘れられた画家
生前は画家として高い評価を得ていたフェルメールの作品は、死後20年以上たった1696年の競売でも高値が付けられました。
しかしフェルメールの作品数はあまりにも少なかったため、18世紀に入るとフェルメールの名は急速に忘れられていきました。
再び脚光を浴びることとなったのは19世紀です。1866年にフランス人研究家がフェルメールを題材とした論文を著したことで、「忘れられた画家」として再びフェルメールの作品に脚光が当たります。
以来、フェルメールは世界的に有名なオランダを代表する画家となっています。
フェルメールの聖地に行ってみよう
フェルメールの故郷デルフトにはフェルメールのゆかりの地があります。
フェルメールが風景画と残した2作品は今でも現存しています。デルフトに訪れた時は足を運んでみてください。
デルフトの眺望
<名作「デルフトの眺望」(左)と実際の場所の写真(右)>
「デルフトの眺望」は雲の色味に濃淡をつけ、遠近感を強調した技法が特徴的な作品です。
住所:Zuideinde, Delft
小路
<風景画「小路」(左)と実際の場所の写真(右)>
小路が描かれた場所には、フェルメール風のウォールアートがペイントされています。
住所:Vlamingstraat 42, 2611 KX, デルフト