オランダの南ホラント州にあるDelft(デルフト)はハーグとロッテルダムの間に位置している街です。
デルフトにはデルフト陶器のRoyal Delftの窯元があり、オランダ画家フェルメールの故郷でもあるため、観光地として人気があり、デルフト工科大学があるため学生街という一面もあります。




デルフトは、掘られた水路を意味するdelven(デルフ)という言葉に由来しています。

デルフトはオランダ史上で最もよく知られている地です。

中世初期まで田舎の村だったデルフトは、13世紀から都市へと発展しました。

 

デルフトの変

<refarence: wikipedia, 1649 Delft>

ネーデルラント連邦共和国(16世紀〜18世紀。現オランダ王国の前。)時代、
1572年にオラニエ公ウィレム1世(後の初代ネーデルラント連邦共和国国王)が居住した地がデルフトです。
1584年にオラニエ公ウィレム1世が暗殺され、オランダ王家オラニエ公一族は伝統的にデルフトに埋葬されています。
(ちなみにこの頃の日本は安土桃山時代。織田信長が暗殺された本能寺の変は1582年の出来事です。)

 

デルフトの霹靂

<refarence: wikipedia, 1654年の爆発後のデルフトの眺め>
1654年10月12日に火薬店が出火し、約40トンの火薬が爆発しました。
その被害は凄まじく街の大部分が崩壊し、100人以上が死亡し、数千人が負傷しました。



デルフトの郷土ビール

<refarence: De Koperen Kat>
中世期、都市の重要な収入源としてビール産業と織物産業がありました。しかしこの2つの産業は同都市内で同時に行うには不向きな点がありました。ビール産業は綺麗な水を必要とし、織物産業は工場排水によって水質汚染を引き起こすためです。
ビールは一般の人々にとって最高の飲み物と考えていたデルフトは、都市の発展をビール産業と選択し、以来デルフトの運河の良質の水を保ち、地ビールを生産していました。

ビール全盛期の1600年頃には80箇所もの醸造所がありましたが、時代とともに減衰し、1922年には最後の醸造所が閉鎖してしまいました。

しかし2011年以来、デルフト市が運営する醸造所De Koperen Katを稼働し、地ビールに新たな息吹をもたらそうと取り組んでいます。
De Koperen Katのビールはデルフトでしか味わえません。

De Koperen Kat 概要(2019年11月現在)
木:21〜3時、金:16〜21時、土日:14〜20時
Schieweg 15M, 2627 AN Delft, オランダ
De Koperen Kat



旧教会

13世紀から15世紀にかけて建てられた教会で、現在は大きく傾いています。
オランダ画家フェルメールはここ旧教会に埋葬されています。

Oude Kerk 概要(2019年11月現在)
月〜土:10〜17時
€5.50
HH Geestkerkhof 25, 2611 HP Delft, オランダ
Oude Kerk

 

新教会

1381年建造のゴシック様式の新教会は地下にオラニエ公ウィレム1世の棺があります。
鐘楼に登ることができ、天気が良い日はロッテルダムまで見えることも。

Nieuwe Kerk 概要(2019年11月現在)
月〜土:11〜16時
€5.50
Markt 80, 2611 GW Delft, オランダ
Nieuwe Kerk

 

市庁舎

中央広場にある市庁舎は17世紀に建設されました。
オランダ画家フェルメールは新教会で洗礼を受け、ここ市庁舎で結婚式を挙げました。
市庁舎では今でも結婚式を開くことができます。

Stadhuis Delft 概要(2019年11月現在)
月〜金:8:30〜17時
Markt 87, 2611 GS Delft, オランダ
Stadhuis Delft






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