オランダの歴史において、貿易、科学、軍事、オランダ芸術が、世界中で最も賞賛された17世紀。この時代をオランダ黄金時代と呼ばれています。

オランダ黄金時代を中心として、オランダ人画家たち、オランダで活躍した外国人画家たちによって描かれた絵画は、様々なジャンルの絵画が制作されました。

それまでは歴史画(宗教画)や肖像画がもっとも人気があり、価値も高かったのですが、
農民の暮らしを描いた風俗画、風景画、海洋画、植物画、静物画などさまざまな専門分野に特化した絵画が描かれました。



この時代に活躍したオランダ画家Johannes Vermeer(ヨハネス・フェルメール)はバロック絵画を代表する画家の1人で、レンブラントと並ぶ17世紀オランダ黄金時代の代表画家です。

フェルメールは生涯で37点の作品を描いたと言われており、故郷デルフトにあるフェルメール美術館には、全作品(レプリカ)が展示されています。

<デルフトのフェルメール美術館>

当時の画家は決して裕福な暮らしではなく、副業をしていることが多い中、フェルメールは画家として生涯を終えています。
資産家の娘と結婚したことで、奥さんの実家からの援助を受けていたそうで、フェルメールはとても高価な顔料を使用していたことで知られています。

<フェルメール代表作:真珠の耳飾りの少女>

フェルメールの多くの作品に使われている鮮やかな青色はフェルメール・ブルーと呼ばれ、鉱石ラピスラズリを原料にしたウルトラマリンブルー。
金よりも貴重であったラピスラズリは「星のきらめく天空の破片」とも呼ばれています。

そんなラピスラズリを惜しげもなく使用したフェルメールの作品にはスポンサーもつき、援助があったからこそ仕事をじっくり丁寧にこなすことができ、年間2〜3作という寡作で生活できていたそうです。



画家組合で理事に就任していたこともり、生前から画家として高い評価を受けていた人気画家フェルメールですが、最後には膨大な負債を抱えて死去しています。

1670年代から始まった第3次英蘭戦争によりオランダの国土は荒れ、経済が低迷していきました。
またスポンサーが亡くなり、奥さんの実家も経済状況が低迷し援助が一切なくなりました。
戦争により絵画は1点も売れることはなくなり、残ったのは膨大な借金のみとなりました。



1675年に43歳という若さでデルフトで死去したフェルメール、死因は特定されていません。

フェルメールには11人の子供がいましたが、8人が未成年でした。フェルメールの死後、妻カタリーナには一家を背負う責任がのしかかったが、結局破産してしまいました。



生前は画家として高い評価を得ていたフェルメール。彼の作品は死後20年以上たった1696年の競売でも高値が付けられました。

しかしフェルメールの作品数があまりにも少なかったため、18世紀に入るとフェルメールの名は急速に忘れられていきました。

再び脚光を浴びることとなったのは19世紀、1866年にフランス人研究家がフェルメールを題材とした論文を著したことで、「忘れられた画家」の発見として再びフェルメールの作品に脚光が当たり、今では世界的に有名なオランダを代表する画家となっています。

Vermeer Centrum Delft 概要(2019年11月現在)
10〜17時
€9.00
ミュージアムカード割引あり €7.00
Voldersgracht 21, 2611 EV Delft, オランダ
Vermeer Centrum Delft

フェルメールの故郷デルフトには、フェルメール美術館意外にもゆかりの地があります。


名作「デルフトの眺望」(写真左)が描かれた場所(写真右側が現在)。
「デルフトの眺望」は雲の色味に濃淡をつけ、遠近感を強調した技法が特徴的な作品です。
住所:Vlamingstraat 42, 2611 KX Delft


小路」(写真左)はデルフトの小路を描いた風景画で、この「小路」と「デルフトの眺望」のみが現存している唯一の風景画となっています。
この小路描かれた場所(写真右側が現在:Vlamingstraat 42, 2611 KX Delft)には、フェルメール風のウォールアートがペイントされています。




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