首都アムステルダムから30キロほど南にあるUtrecht(ユトレヒト)はオランダ第4の都市でユトレヒト州の州都です。
中世時代の街並みを残しつつ近代的な建物も市街地内に数多く、古建築と新建築の両方がバランスよく並ぶ街となっています。
ユトレヒトにはオランダ最大の大学であるユトレヒト大学があり、またオランダのほぼ中央付近という地理的条件より、各地からの道路や鉄道網の重要な結節点となっており、ユトレヒトの交通網が崩壊するとオランダの物流は止まると言われております。
住みたい街ランキング上位常連都市であるユトレヒトは、アムステルダムに次いで家賃が高い都市です。
そんな観光客にもオランダ人にも人気の高い街ユトレヒトの歴史を調べてみました。
ユトレヒトの起源
<photo by : wikipedia>
石器時代(紀元前 2200 年頃)以前からユトレヒト地方には人が定住し始めていたそうです。50年頃にローマ帝国の要塞が建設された事により、都市として発展が進んだと云われています。
ローマ帝国時代に建てられた要塞の名前はTraiectum。Traiectumとは軍事防衛拠点といった意味で、オランダ語ではTrechtと呼ばれます。
他のTrecht(軍事施設)との区別をつけるため、「下流」という意味の旧オランダ語のUUTの頭文字Uが加わり、U-Trecht → Utrecht(ユトレヒト)という名前がついたと云われています。
ローマ帝国時代の全盛期にはローマ兵とその家族がユトレヒトに居住していましたが、のちにドイツ人部族に侵略されローマ人はユトレヒトを去っゆきます。
その後カトリック信仰とプロテスタント信仰の本拠地であったユトレヒトは、何世紀にもわたって様々な宗教争いにみまわれてきました。
中世までは豊かな歴史を持ち、かつてはオランダ全土で最も栄えていた都市だったユトレヒトですが、争いがやまない都市でもありました。
度重なる争いがなければアムステルダム以上の大都会となっていたかもしれません。
現在では要壁などは残っておりませんが、都市の形状にその名残がみられます。
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ユトレヒトの歴史ある観光名所
ユトレヒトの旧市街はアムステルダムとはまた違った街並みが残されています。
オランダの最も高い鐘楼 Dom Tower(ドム塔)
高さ112mのゴシックスタイルの塔はユトレヒトのシンボルタワーです。
もともとは大聖堂の一部分でしたが、資金不足のために大聖堂は完成しませんでした。
1674年に未完成の建物部分が崩壊し、ドム塔だけが残っています。
今ではその高さと歴史を残すためにユトレヒト市街地にドム塔より高い建物の建設を許可するかどうかの議論が続いています。
ユトレヒト大司教区のカテドラルDomkerk(ドム教会)
<photo credit : Domkerk>
ドム教会(聖マルティン大聖堂)は聖人を讃えた教会で、かつてはドム塔とつながっておりオランダ最大の規模の教会でした。
1674年の竜巻により教会とドム塔を繋いでいた身廊部分が崩壊し、その後再建されることがなかったため、現在はドム教会とドム塔の間には広場があり、別々の建築物となっています。
旧市街の中心を流れるOudegracht(旧運河)
ユトレヒト市街地を曲がりくねって流れる運河は、元々はライン川の支流でした。
アムステルダムの運河とは異なり、運河と同じ高さに隣接したスペースがあるところが多く、そのスペースと運河沿いの建物の地下がつながっているので地下室から直接運河へとアクセスできる造りになっています。
運河と運河沿いの建物の間には車道があるので、道路の下に建物の地下室がある不思議な敷地区分になっています。
もともと運河沿いの地下室は、家畜小屋、納屋、穀物倉庫などの用途として使われており、運搬に運河が使われていたので、運河からダイレクトに地下室へとアクセスできるように造られています。
今では運河に面したレストランやカフェとしても使われて入ることがほとんどですが、今でも荷物の運搬はトラックではなくボートが主流になっています。