青色の絵付けを施されている陶器はデルフトブルーと呼ばれ、オランダを代表する伝統工芸品です。
デルフトブルーがあしらわれた陶器はファイアンス焼きと呼ばれる陶器で、ファイアンス焼きとはイラン(または中東のどこか)で9世紀以前より使われてきた古えより伝わった技法になります。
デルフトブルーの歴史
発祥は模造品!?
ファイアンス焼きがオランダで主流になったのは16世紀以降です。それ以前のオランダでは質の良い陶器を作る技術がありませんでした。
原料となる粘土の選定や技術をイタリアで学び、オランダ独自のファイアンス焼きが出来上がったのは16世紀後半のことでした。
この当時オランダでは、風景画や自然画が繊細に描かれている優雅な中国製陶磁器が流行っており人気がありました。しかし中国製陶磁器はとても高価な品物で、富裕層しか購入することができませんでした。
ファイアンス焼き職人たちはこぞってこの中国陶磁器の柄を見よう見まねで模倣したのがデルフトブルーの始まりです。
デルフトブルーがどことなくアジアンテイストな画風なのは初代の職人さんが中国製品をパクった真似たからでした。
流行と風化…
新しく誕生したオランダの陶磁器デルフトブルーは瞬く間に人気が上昇しました。
17世紀にはデルフトブルーがオランダ各地に広まり、デルフトだけでも32箇所もの工房がありました。
また王室用の食器や花瓶にもデルフトブルーが取り入れられ王室コレクションにもなっています。
<王室コレクションはRoyal Delft美術館で見ることができます>
右肩上がりのデルフトブルー産業に陰りが見え始めた18世紀後半。
英国製の安価で高品質のライバル陶器の出現により、デルフトブルーの需要は一気に激減し、デルフトブルー工房が1つずつ姿を消しはじめます。
そして追い打ちをかけるのが産業革命による技術革新でした。
19世紀には印刷技術が発展したことで工場生産品が広く出回るようになり、1つ1つ手作りのデルフトブルーの需要は皆無となってしまいました。
デルフトブルーの復興
新技術によりデルフトブルーの工芸技術は空前の灯火、たった1つを残して全ての工房が閉鎖してしまいます。
デルフトブルー工房が全て消え去る前に、職人のJoost ThooftさんとAbel Labouchereさんの2人が唯一残っていた最後の工房を買い取りました。
デルフトブルーの再起を目指した2人は陶器の品質の見直しをはかり、より強い粘土を発見し、デルフトブルーの品質を向上させます。
1904年に工房を有限会社Porceleyne Flesとし、その後も陶磁器業界の名声を回復する働きを続けました。
40年にも及ぶ彼らの努力が認められ1919年に
名誉称号: Royal
(ロイヤル:王室御用達)
の称号を付与されました。
今ではオランダのお土産としても人気のあるデルフトブルー。その多くは工場生産のものがほとんどなのが実状です。
伝統的なデルフトブルーを生産しているのはKoninklijke Porceleyne Fles(ロイヤルデフト)のみとなっており、工場生産では生み出せない品質と味わい、そして長きに渡って伝承されてきた職人技で1つ1つ造られています。
ロイヤルデルフトの工房には美術館が併設されており、そこではデルフトブルーの歴史や工法が学べ、様々な歴代の陶器や工房内を見学する事ができます。