チェコ共和国、首都プラハより南に車で2時間ほど行ったところにある
小さな町チェスキー・クルムロフ(Český_Krumlov)。
だまし絵の町チェスキー・クルムロフなどと呼ばれることもありますが、騙しているのではなくルネッサンス時代に大流行をよんだズグラッフィート(Sgraffito)と呼ばれる装飾技法が施された壁面が多く残っている町です。
ルネッサンス期の16世紀に栄えた町だけあり、お城の外壁の隅々までズグラッフィートが施されているのが見所です。
チェスキー・クルムロフの歴史
紀元前からこの地に民族が住んでいたとされていますが、町の整備・城の建設が始まってのは13世紀後半になってからのようです。
16世紀にはルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかで華麗なルネサンス都市へと発展しました。
19世紀後半にはオーストリア=ハンガリー帝国に吸収されるも、第一次世界大戦の敗戦によりオーストリア=ハンガリー帝国は崩壊してしまいます。
1920年に町はチェコスロバキア領となり、町名がチェスキー・クルムロフとなりました。
(それまではクルマウと呼ばれていたそうです。)
しかしその後ナチス・ドイツの威力が高まり
1938年にはドイツ領にされ、町はドイツ軍基地となりました。
ドイツが第二次世界大戦に敗北した1945年にチェコスロバキアに復帰するものの戦争の影響で町は荒廃したまま40年以上放置されました。
町民も居なくなり、無人となった町に住み着いたのはロマと呼ばれるジプシーでした。
1990年にようやく町の歴史的価値が再認識され、建造物の修復が急速に進められ、かつての美しさを取り戻しました。
1992年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され今では人気のある観光地となっています。
町の復興、世界遺産、歴史的価値が見出されると町にはチェコ人が戻り始め、ロマ追いやられる立場となってしまいました。
現在でも激しい差別が根強く残っているそうです。
クルムロフ城の見所
チェスキー・クルムロフを代表する観光スポットのクルムロフ城(ČeskýKrumlovCastle)。クルムロフ城はプラハ城に次ぐチェコで2番目に大きな城らしいです。
ズグラッフィート
お城の外壁にふんだんに装飾されているズグラッフィートはただの落書きではなく技術の必要な芸術です。
ズグラッフィートとは平面に描かれているのに立体的に見える装飾で、ルネッサンス時代とネオルネッサンス時代に最大の繁栄を遂げた技法です。
現在でも状態が良くこれだけの面積のズグラッフィートをお目にかかれることは中々ありません。
キャッスルタワー
外壁のズグラッフィートが鮮やかで、遠くからでも目を惹きつけるデザインです。
ブラーシュティ橋(Cloak Bridge)
お城の一部となっている5階建てのブラーシュティ橋。上階2そうは宮殿と中庭、劇場をつなぐ通路となっており、暴風の日でも関係なく移動できるように作られた橋です。
今では街全体が見渡せる展望台になっています。
チェスキー・クルムロフ散策
城下町は小さなお家が連なっており、可愛らしいデザインも多いので、路地散策もお勧めです。
町の外周がモルダウ川に囲まれており、川と木々が豊かな田舎町のチェスキー・クルムロフ。観光後は川辺で一休みできるよう、あちこちにベンチがあったりします。
散策中にどこからともなく芳ばしい香りに包まれます。一見何だかわからないお菓子、チェコ名物のトゥルデルニーク(trdelnik)は太い鉄パイプに生地を巻いて焼くパン的なお菓子です。
香りと不思議な様相につられて買ってしまう一品です。
チェスキー・クルムロフまではプラハから電車で3時間弱なので、日帰りでも十分な観光地です。
アムステルダムからチェコ・プラハへ(約1時間20分)
プラハから特急電車(約3時間)
Český_Krumlov下車