アムステルダム中央駅から真直ぐ伸びた大通りを10分ほど歩いたところにあるダム広場(Dam)は、アムステルダム旧市街地の中心に位置し、常に観光客で溢れかえる年中賑やかな場所です。
ダム広場は約100m x 200m(東京ドーム約半分のサイズ)の広さで、広場の周りには王宮、教会、デパート、慰霊塔など観光要素が集積しています。
ダム広場で開催されるイベント
ダム広場は季節ごとのイベント会場にもなっており、1月のチューリップの日には広場が一面チューリップで埋め尽くされ、5月の戦没者追悼の日には広場の慰霊塔前で戦争追悼式が開催されオランダ国王も出席されます。
この投稿をInstagramで見る
春から夏には様々なイベントやデモ会場となり、秋には移動遊園地が仮設され、冬にはシンタクラースが訪れ、新年には広場中に花火があがります。
イベントの中心地となるダム広場ですが、イベントがない時でも終日賑わっているアムステルダムのシンボルとなっています。
ダムの語源
日本語でダムとは河川などを人工的に堰きとめる堰堤や堤防の事を指します。ダムは英語でもDamと呼び、その語源はオランダ語とされています。
海抜ゼロメートル地帯で国土を開拓してきたオランダはダムによって守らている国です。
オランダの首都アムステルダムはアムステル川のダム、近代都市ロッテルダムはロッテ川のダムと、地名から「堤防によって守られてきた街」であることが分かります。
ダム広場の役割
アムステルダムのDam(ダム広場)は、その名の通りダム(堰)を意味し、アムステルダムの名前の由来になっています。
アムステルダムの地に集落ができ始めたのが13世紀です。そのころは現在のダム広場の場所にはアムステル川が流れていました。川の氾濫をくい止める堤防と船着き場のためにダム(堤防)が整備され、アムステル川に架かる橋の役割もになっていました。
集落間を繋ぐ架け橋となったダムが整備されると人々が集まる場所になり、ダムを中心に町が拡張されるようになりました。
当時ののダムの広場は東西で2つの用途に使い分けられていました。川に面していた東側は漁船や魚市場のための広場(Middeldam)として使われ、西側は市庁舎の役割を持った広場(Plaetse)となっていました。
1655年には市役所が建てられたことでダムの広場が本格的に市政の中心になりました。
現在では広場の東側には戦争慰霊碑が建てられ、西側には王宮美術館や新教会が面しています。
堤防から街の中心へ
19世紀にはいるとメインの交通は船から馬車へと変わります。アムステルダムの中心を流れていたアムステル川が埋立てられ、ダム広場を中心に馬車道が整備されます。東西で2つの用途に分かれていたこともあり、東西を分割するようにメインストリートが造られました。
アムステルダム中央駅からダム広場で伸びるダムラーク通り(Damrak)と、ダム広場から花市場までのローキン通り(Rokin)は、今ではユニクロなどが並ぶショピングストリートです。
ここにアムステル川が流れていた痕跡は皆無ですが、賑わいや活気はダムが築かれた13世紀から変わっていないのかもしれません。
ダム広場周辺の観光情報