オランダの第3の都市デン・ハーグ(Den Haag)。
首都ではありませんが国会議事堂や大使館などが集まっている都市なためオランダの行政の中心地となっています。
日本大使館もデンハーグにあるため、オランダに長期滞在の方はビザの手続きや免許証の切り替えなどで度々訪れることがある街です。
Binnenhof(ビネンホフ)
ビネンホフは街のランドマーク
そんなデンハーグの観光の中心はBinnenhof(ビネンホフ)と呼ばれるエリアです。
ビネンホフには広場を中心に国会議事堂や官庁が集まっていて、ホフフェイバー(Hofvijver)と呼ばれる池が隣接しています。
ビネンホフの国会議事堂は現在も使用されているヨーロッパで最も古い国会議事堂になります。
13世紀後半に建てられた騎士の館・リデルザールでは毎年9月の国会開会宣言が行われる重要な儀式の場となっています。
お城、住居、会議室と多様とな歴史
Binnenhofの起源についてはほとんど解明されていません。
一番古い記録が13世紀(1229年)にホラント伯爵(Floris IV van Holland)がビネンホフの土地(湖と小さな宮殿)を購入したとされています。
城壁や門、教会、礼拝堂、2つの塔を持つRidderzaal(リデルザール)と呼ばれる大ホールが建設され立派な城塞となりました。
しかし15世紀にオランダがブルゴーニュ公国の支配下となった時にビネンホフは城としての役割を終えます。その後は貴族の住居となったり、リデルザールは貿易商や商人が自由に使える公共空間として使われました。
16世紀後半にマウリッツ(ネーデルラント連邦共和国の初代君主の次男)がビネンホフを所有し、伯爵やら貴族の住居として使われ増改築が繰り返されます。
17世紀に行政用の広い会議室(Vergaderzaal)が建設されたことにより、ビネンホフが政治の中心へとなりました。(会議室(Vergaderzaal)は、今でも議事堂として使用されています。)
行政の中心地へ
19世紀初期にナポレオンの統治下となった時に行政の中心はアムステルダムに移され他ことで、ビネンホフは取壊しの対象となりました。
しかし解体前にオランダがフランスから独立しネーデルラント国王となりウィレム1世が国王に即位します。
そして再び行政はビネンホフへと移り、17世紀に建てられた伯爵の家・Torentjeは首相官邸として使われるようになりました。
19世紀中頃に古い行政の建物の建替え工事の議案が提出され、その中にビネンホフ一帯の建物も含まれました。
しかし歴史的価値を大切にしたい地元住民の抗議が殺到し、建替え工事は中止となりました。そのおかげで19世紀以降から現在までビネンホフの姿はほとんど変わっていません。
今ではビネンホフは一般開放されており、誰でも観光することができます。(建物内には入れません)
リデルザールは一部展示室が自由に見学できます。館内ツアーを申込むと色々見てまわれるようです。