アムステルダムの観光名所の一つ、Museumplein(ミュージアムプレイン、ミュージアム広場)は、アムステルダム旧市街を抜けた先にある広場(公園)です。
“I amsterdam”のオブジェがあることも有名で、多くの観光客が常に写真を撮っており、遊具やバスケットコートでは、近所の子どもたちがいつも遊んでいます。
冬にはスケートリンクができることも有名で、観光地としてだけではなく、市民にも開かれている広場の印象です。
ミュージアムプレインを囲うように国立美術館、市立美術館、ゴッホ美術館、音楽堂があり、広場の名前の通り、今では文化の象徴とも言える場所だと思います。

このエリアは19世紀の都市拡張計画により整備された地区なのですが、このミュージアムプレインのみ整備されたのは20世紀末、1990年代の出来事なのです。
ものすごく最近です。
ミュージアムプレインというくらいですから、周りの美術館とともに文化エリアとして作られてきた印象を受けますが、そうではなかった事に驚きました。

<1883年の万国博覧会>

オランダを代表する3つの文化施設、国立美術館、市立美術館、音楽堂が建てられたのが19世紀。
(国立美術館 1885年開館、コンセルトヘボー(音楽堂) 1888年開館、市立美術館 1895年開館)
その頃の現在ミュージアムプレインがある場所は、広場というよりは更地(整備されていない空き地)に近かったんじゃないかと思います。
国立美術館の開館前の1883年には、この場所で万国博覧会が開催され、その他にもお祭りやデモなどで一時的な広場としての利用は多数ありました。
オランダを代表する文化施設に加え、多くの人々が集まれる場所としての可能性はすでに見出されており、この場所がオランダの代表的な場所になる事は明らかだったのです。
そのため様々な議論や開発案はあったそうなんですが、いずれも決定まではいかず、うやむやなまま100年余り経ってしまったという。

<1928年美術館の空撮>

なぜ様々な提案が決定までいかなかったのか。
そこには異なる権力や背景が影響していたんじゃないかと考えられています。

1885年に開館された国立美術館はその名の通り、国が管轄する博物館。
それに対し、コンセルトヘボー(音楽堂) は民間、市立美術館は自治体と、異なる管轄によって管理されています。
この3つの権力(国、自治体、市民)により同時期に建てられた文化施設なのに、お互いに関わりを持たない計画で建設されたために、ミュージアムプレインの場所が開発しづらくなってしまったのです。

例えば国立美術館をメインとするような広場を計画したら民間や自治体から反感をかい、音楽堂をメインとしたら国や自治体が黙っていない的な。
(首都であるアムステルダムに国王がほとんど不在だった事もあり、絶対的な権力が存在しなかったのです。)

すべてを調和する広場のデザインを図ろうと試みると、この3つの建物の配置が非常に悪く(国立美術館は旧市街側を表側と考えられて、新市街から旧市街への門のような形が取られている。音楽堂は建物前面の主要道路を向き、市民美術館は西側の高級住宅地側を向いている。)主要道路とのアクセスが悪くなったりと、うまくいかなかったようです。

その他にもヨーロッパでよく見られるような手の行き届いた豪華な庭園のような案もあったようですが、その頃のヨーロッパで見られる豪華な庭園は国家の権力を象徴する意味合いもあり、最終的に権力のある市民が反対し、振り出しに戻るという。

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また19世紀の都市拡張計画によりこの場所の北側は旧市街、東は労働者居住区、西は高級住宅地区、南は隣の市との市境(当時のアムステルダム市はまだ小さかった)と、四方を異なるエリアで囲ってしまった事も、様々な計画が決定されなかった事につながっています。

異なる権力に圧をかけられ、こんなまとまりのない場所に国を代表する場所となる広場をデザインしろとなると、まぁ何から始めたら良いものかっとなることは容易に想像できます。
3つの文化施設が1つの管轄により19世紀の都市拡張計画とともに開発されていたならば、もしそうだったとしたら、今とは違うミュージアムプレインがあったのかもしれません。

<photo credit: Alessandro Grussu 101 – Amsterdam via photopin (license)>

3つの文化施設に加え、1973年にはゴッホ美術館も開館され、もうどうして良いものか迷走していたこの場所を1990年代にデザインを手がけたのは北欧のランドスケープデザイナー、Sven-Ingvar Andersson。
ミュージアムプレインは青々とした芝生に覆われ、美術館同士を直線的につなぐ自転車道が幾つか通り、表裏の無いすべての方向に対して開かれているようなデザインです。

<photo credit: Cath in Dorset Amsterdam (2) via photopin (license)>

現在のミュージアムプレインとして完成したのが1999年。その後も何回か所々改装されたりしています。今後も改装は続いていくようなので、思うに完成系の無い広場なんだと思います。数年後には全く違う広場になっていたら、それはそれで非常に興味深く楽しみです。

参考文献
日本建築学会計画系論文集 Vol. 71 (2006) No. 607 p. 215-223
アムステルダム,ミュージアム・プレインに見るオランダ19世紀後期ヨーロッパ近代首都としてのランドスケープ形成に関する考察
田村 望 / 早稲田大学大学院理工学研究科