Vincent Willem van Gogh(フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ)は、1853年にオランダ南部の村で長男として生まれました。
フィンセントの名は、高名な牧師だった祖父の名を継いでいます。
ゴッホのお父さんは絵が上手かったそうなので、才能はお父さんゆずりなのかもしれません。
5人弟妹の長男だったゴッホですが、変わった性格や奇行から家族から疎まれていたそうです。4つ下の弟テオドルスとだけは生涯通して仲良しで、ゴッホの最後をテオドロスが看取っています。
37歳という若さでこの世を去ったゴッホさん。
27歳頃から絵を描き始め、亡くなる迄の10年間にたくさんの作品を残しています。今でこそ多くの作品が名作として評価されていますが、生前に作品が評価されたのは1度きりでした。
ゴッホの作品の多くはアムステルダムのゴッホ美術館で見ることができます。
営業時間:9〜18時(金曜日のみ22時まで)
入館料:€22
ミュージアムカード:入場無料
チケット >>
住所:Museumplein 6, 1071 DJ Amsterdam
URL:Van Gogh Museum
ゴッホの生涯
ゴッホは1853年3月30日にオランダで生まれ、1890年7月29日にフランスで亡くなりました。37年の短い生涯です。
13歳で学校を中退し商社で働きます。大人になったゴッホは初恋をし、そして失恋を経験し、その後に宗教に入信し伝道師の仮免許を取得します。しかし免許剥奪され、その後に絵を描き始めました。
学生時代のゴッホ
7歳:小学校入学(すぐに不登校になる)
8歳:家庭教師をつけて自宅学習
11歳:寄宿学校に入学
13歳:国立高等学校入学
15歳:中退(参照:wikipedia)
少年期のゴッホはコミュニケーションが苦手だったようで、しっかりとした教育を与えてくれたご両親でしたが、癇癪持ちだったゴッホは学校に馴染めなかったようです。
国立高等学校の教師に絵を習ったそうです。
商社マン時代のゴッホ
16歳:伯父のコネで美術商会社入社(ハーグ支店勤務)
20歳:ハーグ支店で伯父と大喧嘩し、ロンドン支店に左遷
21歳:ロンドンで初恋→失恋→キリスト教に入信
22歳:パリ店に栄転→リストラ(参照:wikipedia)
15歳で学校を中退したゴッホは、伯父の会社で働き始めます。美術商の仕事を通して多くの絵画に触れ、絵の世界に興味を抱いたそうです。
大人になったゴッホは恋をしますが、実を結ばず失恋してしまいます。この失恋をきっかけにうつ病が発症したゴッホは、今後も精神的に病むことが増えていきました。
伝道師時代のゴッホ
23歳:
・イギリスで教師になるが2ヶ月で退職
・牧師の手伝いをし聖職者を目指す
・実家に戻り書店に就職24歳:
・書店を退職し、聖職者を目指し大学の受験勉強に取組む
・受験勉強に挫折、精神崩壊し自虐行為を繰り返す25歳:
・伝道師を目指し、ベルギーの伝道師養成学校に入学
・伝道師仮免許を取得26歳:
・伝道師の威厳を損ない仮免許剥奪される
・貯金が尽き、仕送りに頼ったニート生活が始まる(参照:wikipedia)
リストラ後はヨーロッパを点々としますが、何をやっても思うような成果は得られすに精神的に病んでいたそうです。
伝道師仮免許を取得すると炭鉱の町に配属され、そこで教えを説きます。しかし極度の貧困の中で再びうつ病にかかります。常軌を逸した自虐的行動をとるようになり、周囲からは奇妙な目でみられ、やがては伝道師の懲戒免職となってしまいます。
無職時代のゴッホ
27歳:
・フランスへ放浪
・実家に戻ると精神病院入院を嘆願されたのでベルギーに逃亡
・弟からの仕送りに頼ったニート生活で絵を描きはじめる
・ブリュッセル王立美術アカデミーに短期間在籍28歳:
・実家へ戻り、絵に没頭する
・従姉妹に求婚し拒絶される29歳:
・ハーグに移り住み、弟からの仕送りに頼った生活が再開
・感染症にかかり入院
・退院後、子持ちの女性と同棲を始める30歳:
・彼女と破局し、オランダを放浪し、実家へ戻る31歳:
・弟に絵を売りつけて収入を得る生活を始める
・恋人ができたが双方の家族から大反対され破局32歳:
・父が発作を起こして急死
・妹からダメ男長男と責められ実家を出る
・モデルに暴行疑惑が浮上し、賃貸を強制退去させられる
・ベルギーに引越し、王立芸術学院でデッサンを勉強する
・日本の浮世絵にハマる(参照:wikipedia)
伝道師を懲戒免職になると、家族からの支援で生活し、ゴッホは働かなくなりますが、この頃から絵を描き始めます。
弟テオドルスからの仕送りに頼った生活では、弟の送金が少しでも遅れると自分の芸術を損なうものだと言って弟をなじったそうです。
この頃に叔父のコネで絵の注文を受けたが、作品に「商品価値がない」と言われ売れなかったそうです。
画家時代のゴッホ
33歳:
・パリに住む弟の家へ突撃訪問し、居候をはじめる
・カフェの女店主に求婚して断られ、トラブルになる34歳:
・画家仲間と展覧会を開催する35歳:
・南フランスで友人画家ゴーギャンと共同生活をはじめる
・自らの耳たぶを切り落とし、娼婦にプレゼントする
・娼婦が警察に通報し、病院に収容される
・退院後、ゴーギャンが家を去っていたので精神崩壊を起こす
・近所の通報により病院に再収容される36歳:
・精神病院に転院
・「ひまわり」などの絵画が評価され始める
・展覧会で「赤い葡萄畑」が売れる(生前に売れた唯一の作品)37歳:
・5月に精神病院を退院し、フランスの田舎町を拠点とする
・7月29日、弟に見守られながら永眠。(参照:wikipedia)
父の死後はフランスを拠点に画家活動が本格的になりました。
ゴッホの耳たぶ切り落とし事件は有名で、耳たぶを切り落とした後に耳に包帯を巻いた自画像を描いています。しかしゴッホはなぜ耳たぶ切り落としたのかは覚えておらず、この事件の記憶が無いと言っていたそうです。
36歳頃から展示会に出品した作品が注目されるようになり、ゴーギャンやモネなど多くの画家から高い評価を受けています。
そして37歳の7月に不可解な死を遂げました。
ゴッホの最後
7月27日の日曜日の夕方、滞在先の旅館に怪我を負ったゴッホが帰り着きます。
左胸に銃創があり、出血は少なかったものの当時の医療技術では何もできず、絶対安静で見守ることとなりました。
翌朝連絡を受けた弟テオドルスが病因へと駆けつけます。まだ意識があったゴッホと最後の会話をし、翌日未明にゴッホは息をひきとったそうです。
弟テオドルスは妻宛の手紙に
「オーヴェルに着いた時、幸い兄は生きていて、事切れるまで私は兄のそばを離れなかった。兄と最期に交わした言葉の一つは、『このまま死んでゆけたらいいのだが』だった。」
と書いています。
ゴッホの死因は拳銃自殺と言われていますが、自殺にしては入射角が不自然だったそうです。近所の少年達が持っていた銃が暴発し、少年らをかばうために自殺に見せかけたとする説もあります。
が、目撃者がいないので真実はいまでも謎のままとなています。
故ゴッホの作品
ゴッホの死後、弟テオドルスは兄を追うように病で倒れ他界しました。パリ近郊のゴッホのお墓の隣に弟テオドルスは埋葬されました。
その後ゴッホの作品を世に広めたのは弟テオドルスの奥さんでした。
オランダのアムステルダム・ゴッホ美術館では多くのゴッホ作品が展示されています。またオランダの国立公園内にあるクレラー・ミュラー美術館にも貴重なゴッホのコレクションが所蔵されています。
ゴッホ美術館
アムステルダムのファン・ゴッホ美術館(Van Gogh Museum)はゴッホ没83年後の1973年にオープンし、今では年間210万人が訪れます。
ゴッホの作品で有名な自画像やひまわりを含む200点以上の絵画、弟テオドルスとの手紙なども収蔵されています。
同時代のゴーギャン、ロートレックの作品や、ゴッホが酔狂していた日本浮世絵なども展示されており、またゴッホに関連した企画展や特別展も積極的に開催しています。
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2023年にはゴッホ美術館開園50周年を祝い、様々なイベントが開催しています。
営業時間:9〜18時(金曜日のみ22時まで)
入館料:€22
ミュージアムカード:入場無料
チケット >>
住所:Museumplein 6, 1071 DJ Amsterdam
URL:Van Gogh Museum
クレラー・ミュラー美術館
オランダ国立公園内にあるクレラー・ミュラー美術館(Kröller-Müller Museum)は豊富なゴッホコレクションを有する近代美術館です。所有するゴッホ作品はアムステルダムのゴッホ美術館に次ぐ規模で、ここでしか見ることのできない名作もあります。
クレラー・ミュラー美術館に訪れるには美術館とは別に国立公園入場券が必要です。
盗まれた作品
ゴッホの作品は過去に盗まれています。
2002年のゴッホ美術館襲撃事件
ゴッホ美術館は2002年に強盗が入り、ゴッホの絵画が2点盗まれています。強盗犯は捕まったものの、絵画はすでにイタリアのマフィアに売られた後でした。
盗難から14年後の2016年に、ようやく盗品がナポリで見つかりゴッホ美術館へと帰ってきました。2つの作品「スヘフェーニンゲンの海の眺め」と「ヌエネンの教会から出る人々」は、帰還を記念して2017年に一般公開されましたが、その後は修復作業のため展示はされていないようです。
2020年のロックダウン中の盗難
2020年にはフローニンゲン美術館が所有するゴッホの作品が別の美術館に貸出中に盗まれる事件がおきました。
この窃盗犯もすぐに捕まり、既に有罪判決となり服役中です。しかし盗まれた絵画はすでに他のところに移されていました。
事件から3年後の2023年6月。この盗品を所持していた人が作品を美術館へと返却します。その所持者は盗品を持ち続けることに悩んでいたそうで、最終的に秘密を完全に守るという条件で絵を返すこととなったようです。
現在は修復中のその絵画は、今後に展示されるかは未定です。しかしフローニンゲン美術館の館長は再び他の美術館に貸し出すことは考えていないそうなので、展示されるとしたらフローニンゲン美術館になりそうです。