ロッテ川にダムを築き、ロッテルダムの地に集落ができたのは、アムステルダム同様13世紀と云われております。

<refarence: wikipedia, 1652 Rotterdam>
16世紀頃からは港町として発達し、世界屈指の貿易都市として発展してきました。
1965年にはニューヨークを抜いて世界第一の貿易量を誇り、その後2003年まで世界一の貨物取扱量を維持していました。

ロッテルダムの街並みは近代建築が多く、他の都市のような歴史ある街並みとは異なります。
それは第二次世界大戦時にナチス軍により、爆撃をうけて都市のほとんどが消し飛んだためです。
当時の被害は2万4000以上の家屋が崩壊、死者800名、被災者8万人だったそうです。

<refarence: rotterdam viert de stad, 1940 Rotterdam>
ロッテルダムが爆撃を受けたのが、1940年5月14日のこと。
大被害に打ち拉がれることなく、たった4日後には”ロッテルダム復興基本計画(Basisplan voor de Wederopbouw van Rotterdam)”をロッテルダム市が発案しています。

<refarence: rotterdam viert de stad, 1940 Rotterdam>
復興計画に伴い、瓦礫とともに残されていた基礎部分なども全て撤去作業が始まり、更地からの再建設を見込まれ、今まで以上に良い都市作りを目指してすぐに取り掛かりました。
復興計画発案から約1年後、ロッテルダム市お抱えの建築家W G Witteveen(ウィッテフェーン)さんによる都市計画案が出来上がりました。
がしかし、ウィッテフェーンさんが1年かけて考えたプランは革新的ではなく、以前の街並みに似かより過ぎていたため批判の的となってしまいました。
その上、戦争中の建材不足も相まり、ウィッテフェーンさんのプランニングはほとんど現実化することはありませんでした。残念。




ウィッテフェーンさんの後を引き継いだのが、Cornelis van Traa(コーネリス)さん。
もともと計画されていたウィッテフェーンさんの案を元に再考案されたものの、
最終的には大チェンジなプランが提案されました。

<refarence: wederop bouw rotterdam>
コーネリスさんの計画は
・爆撃を免れて残っていた建物まで解体
・今までの主要運河を別の運河に変更
・市の中心部を西に移動。それにより市の西側の境界となっていた運河が、市の中央の運河に
・中心部の居住機能の制限
・主要道路の計画
と、どうせやるなら全部変えちゃえと言う斬新なプラン。


<refarence: rotterdam viert de stad, 1960 Rotterdam>
コーネリスさんの案は1946年に採択され、50年代には復興が本格的になりました。
・1953年にラインバーン商店街(Lijnbaan)がオープン。
ラインバーン商店街は常時歩行者天国の商店街で、当時国際的な注目を集めました。
・1953年超近代的な国内最大複数企業ビルGroothandelsgebouwの完成。
・1957年にはロッテルダム中央駅が竣工。
・1960年ロッテルダムタワー、ユーロマストが設立。


その後もオランダ初の地下鉄開通(1968年)、数々の高層ビルの建設、長さ284メートルの吊り橋エラスムス橋の完成(1996年)と爆撃から60年たらずで近代都市として生まれ変わってきました。

現在も新しい高層ビルの計画が進んでおり、ロッテルダムは国際的な建築都市となっています。

そんなロッテルダムを観光するなら、オランダの近代建築を堪能してみてください。




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