Van Gogh Museum(ファン・ゴッホ美術館)はフィンセント・ファン・ゴッホの作品を中心とした国立美術館です。
ファン・ゴッホ作品のほか、同時代のポール・ゴーギャン、ロートレックらの作品、ファン・ゴッホが傾倒していた日本の浮世絵、盛んに模写をしたミレーなども展示されています。
またファン・ゴッホとは直接関係のない特別展も積極的に開催しています。


Vincent Willem van Gogh
(フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ)

1853年3月30日、オランダ南部ズンデルトの村で、父テオドルス・ファン・ゴッホ(オランダ改革派の牧師)と母アンナ・コルネリア・カルベントゥスとの間の長男として誕生。ちなみにお父さんも絵が上手かったそうです。

フィンセントという名は、父の父、おじいちゃん(高名な牧師)からとられています。
フィンセントには5人の弟妹がおり、4つ下の次男テオドルスがフィンセントの最後を看取っています。

7歳から村の学校に通い始めたものの、翌年からの3年間は家庭教師によって勉強する。
11歳からは寄宿学校に入学。
13歳からは国立高等市民学校ウィレム2世校に進学。
パリで成功した画家がこの学校で教師をしており、ゴッホも彼から絵を習ったようです。
15歳の時に学校を中退。その理由は謎のままです。

<美術商会社で働いていた19歳頃のフィンセント>

16歳に伯父さんのコネで美術商会社のハーグ支店に入社。仕事を通して多くの絵画に触れ、興味を抱いたようです。
20歳の時にロンドン支店に移動。理由は同じ支店で働く伯父さんとの関係悪化。
ロンドンで出会った下宿先の娘に初恋をするものの、振られてしまった傷心のフィンセントは、その後キリスト教にハマります。
22歳にめでたくパリ本店に栄転するものの、翌年にリストラ。
23歳、イギリスに戻り小さな寄宿学校で無給で教師として働くこととなったが2ヶ月で退職。
少年たちに聖書を教えたり、貧民街で牧師の手伝いを始め、聖職者になる夢を抱く。
年末にオランダの実家に帰国し、翌年から書店に就職。

<地元の風景画>

24歳、書店で働くものの聖職者になる夢を諦めきれず仕事を辞め、王立大学の受験勉強を始める。が、受験科目の多さに精神的に追い詰められ挫折。
25歳、伝道師になりたいという思いを固め、ベルギーの伝道師養成学校に3ヶ月通い、その後ベルギーにて伝道活動を始める。熱意を認められ伝道師仮免許を獲得。

26歳、フィンセントの常軌を逸した自罰的行動を伝道師の威厳を損なうものとして伝道委員会に否定され、伝道師仮免許剥奪。懲戒免職。父親からの仕送りに頼ったニート生活を始める。
27歳、北フランスへ放浪の旅に出る。お金が尽きオランダの実家へと戻ると父に精神病院に入れられそうになりベルギーに戻る。
弟テオドルスからの仕送りに頼ったニート生活の中で本格的に絵を描くことを決意。
ブリュッセル王立美術アカデミーに短期間在籍。またある画家から遠近法や解剖学のレッスンを受けていた。
28歳、経済的理由によりオランダの実家に戻り絵に没頭する。
フィンセントの実家に遊びに来た未亡人の従姉妹に恋し、求婚するが拒絶される。

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<遠近法を捉えるための透視枠を自作(29歳)>

29歳、実家を出てハーグに住み始める。もちろん弟テオドルスからの仕送りに頼ったニート生活。この頃には仕送りが少しでも送金が遅れると自分の芸術を損なうものだと言って弟をなじった。
叔父の好意により絵を注文されるが、完成した作品に「こんなのは商品価値がない」と言われる。
夏には感染症にかかり3週間入院。退院後、子持ちの女性と同棲を始める。
30歳、彼女とは別れ、絵を描きながらオランダを旅し、年末に実家に戻った。
31歳、弟テオドルスに絵を送り、その報酬として仕送りを受け取る生活を始める。
年上の女性と恋仲になったが、双方の家族から結婚を反対された末、女性は自殺未遂事件を起こし、村のスキャンダルとなる。

[ジャガイモを食べる人々]最初の本格的作品(32歳)
32歳の誕生日の4日前に父が発作を起こして急死。
妹から、父を苦しめて死に追いやったのはフィンセントであり、彼が家にいれば母も殺されるとなじられ、前からアトリエとして借りていた部屋に引っ越す。
モデルの女性が妊娠し、フィンセントに疑いの目がかかり、モデルになってくれる村人を見つけることができなくなった。この事件により賃貸契約を打ち切ら強制退去。残された多数の絵は母によって二束三文で処分された。
ベルギーに戻り、アントウェルペン王立芸術学院でデッサンを学ぶ。
日本の浮世絵に魅了されハマる。
33歳、生活が苦しくなり弟テオドルスを頼って、前ぶれなく夜行列車でパリに向かい、弟の部屋に居候を始める。
カフェの女店主に恋し、求婚して断られ、店の人間とトラブルになる。

<[タンギー爺さん]パリにて(34歳)>
34歳、レストランにて、画家仲間と展覧会を開催。
35歳、弟の部屋を出て南フランスのアルルが気に入りに移り住む。
友人画家ゴーギャンと共同生活を始める。
12月23日、フィンセントが自らの耳たぶを切り落とす事件が発生。
地方紙によると「日曜の夜、オランダ出身の画家が娼家に現れ、ラシェルという女を呼んで、『この品を大事に取っておいてくれ』と言って自分の耳を渡し姿を消した。通報を受けた警察は翌朝この人物の家に行き、ベッドに横たわっている画家を発見し、病院に収容した。」と報じている。フィンセント自身はこの事件について記憶にないようであり、何も語っていない。
年明け退院したが、ゴーギャンは家を去っていた。その後精神不安定になり、近所の通報により再入院する。

<[ひまわり]アルルにて(35歳)>
36歳、別の精神病院に転院し”てんかん発作を起こしやすい”と診断される。
病院の一室を使い絵は描き続けたが、度々起こる発作に悩まされる。
この頃よりフィンセントの絵画は少しずつ評価され始める。
評論家アルベール・オーリエがフィンセントを高く評価し、ブリュッセルで開かれた展示会ではフィンセントの「ひまわり」、「果樹園」などの作品が好評を博した。この展覧会で「赤い葡萄畑」が初めて400フランで売れた。購入者は友人の姉で女流画家のアンナ・ボック。生前に売れた唯一の作品となった。
パリで開かれたアンデパンダン展に「渓谷」など10点が弟により出品され、ゴーギャンやモネなど多くの画家から高い評価を受けた。

<[カラスのいる麦畑]オーヴェルにて(37歳)>
37歳、体調が回復し5月に退院。数日間パリの弟の家で過ごしたが、パリの騒音と気疲れを嫌って早々に農村(オーヴェル)に向かった。
フィンセントはオーヴェルが気に入り、旅館を拠点に絵を描き続けた。

 

7月27日の日曜日の夕方、オーヴェルの旅館に怪我を負ったフィンセントが帰り着いた。
左胸に銃創。幸い出血は少なかったものの、当時の手術で取り除けるものではなく、絶対安静で見守ることになった。
翌朝連絡を受けた弟テオドルスが急行し、フィンセントはまだ意識があり話すことが出来たものの、29日午前1時半に死亡した。37歳没。
翌日に葬儀が行われ、弟のほか友人12名ほどが参列した。
弟テオドルスは8月1日、パリに戻ってから妻宛の手紙に「オーヴェルに着いた時、幸い彼は生きていて、事切れるまで私は彼のそばを離れなかった。兄と最期に交わした言葉の一つは、『このまま死んでゆけたらいいのだが』だった。」と書いている。

<オーヴェルにあるフィンセントと弟の墓>

フィンセントは自殺なのか、他殺なのかは分かっていません。少年達が持っていた銃が暴発し、彼らをかばうために自殺に見せかけたとする説もあります。

弟テオドルスはフィンセントの死後、兄を追うように病で倒れ他界しました。その後フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホの作品を世に広め続けたのは弟の奥さんでした。


このブログを書くまでゴッホの生涯を知りませんでした。
知っていたのは有名な「ひまわり」などの数点の作品と、生前に売れなかった画家ということくらいです。
幼少期から癇癪持ちで、成人後も変人的なエピソードが多いゴッホさん。芸術家は変わってる人が多いと言われるうちの一人でしょう。

死後年々と人気が現れていることはまちがいなく、没後約125年たった2016年には過去最高の210万人がアムステルダムのゴッホ美術館を訪れており、410万ユーロの利益を計上してます。

Van Gogh Museum概要(2017年9月現在)
9〜18時(金曜日のみ22時まで)
€17.00
ミュージアムカード可
Museumplein 6, 1071 DJ Amsterdam, オランダ
Van Gogh Museum